書評『雪』
暑い夏に『雪』の本をお届けしたい。
あくまでも個人的な意見として『八甲田山 死の彷徨』は、エアコンのガンガンに効いた部屋で全裸になり正座して読むべきだと考える。八甲田山の雪中行事において210名中205名が死亡するという近代の登山史における世界最大級の山岳遭難事故を描いた小説だから実践するかどうかは別として、気合を入れて読みたいと思っている。
それに対して『雪』は、天を仰いでから読む本だ。『雪』は岩波新書から岩波文庫へと変わり刊行された科学啓蒙書であり、自然科学と言う分野に古典的価値を昇華させた名著である。細やかな歩みの先に見えた研究成果は知恵の宝庫だ。少し難しいと感じる専門的な内容でも読んでいて飽きないし、雪に関する研究の面白さを科学者の視点で淡々と語る文章に胸を打つ。本書は、是非、雪の降る日を想像して空を見上げることから読み始めて欲しい。雪の結晶がはらはらと天から舞い降りる美しい情景が眼に浮かぶだろう。
第一章は「雪と人生」について。
雪の災害によって苦しめられる裏日本の人々の生活を中心に屋根の雪下ろし、果樹の枝折れ、雪中の交通運搬、鉄道の被害などの例が挙げられている。一方で、雪は冬山登山やスキーなど楽しいレジャーのひとつでもある。雪の性質や雪の降る状態を知り、雪の損害をいくらかでも少なくすることに心を向けた上で雪を楽しむことが出来たらどんなによかろうと、著者は語る。
第二章は「「雪の結晶」雑話」について。
雪の結晶に関する研究の歴史を紐解く。言わずもがな顕微鏡の発展が雪の結晶の研究に大きく貢献しているのだが、注目すべき人物はアメリカのウイルソン・エー・ベントレーだろう。彼は名もなき学者であったが、雪華の写真を撮り続け、晩年になるまでにその数が6千種類にも及び、そのうちの約3千種類(!)を1931年に一冊の書物に集めて出版した。この写真集は、かつて類例のない雪華の写真であったことから一躍世界的なものとなる。日本はもちろんのこと世界中の大抵の気象学の本は彼の写真から転記されているくらい有名なようだ。また国内では「雪の殿様」の異名を持つ土井利位が1832年に『雪華図説』という小冊子で雪華を取り上げている。彼は日本で最初の雪華の研究家だと言われている。
第三章は「北海道における雪の研究の話」について。
著者が勤務の都合上で札幌に住むようなったこととペントレーの美しい雪華の写真に強い感動を得たことをきっかけに、著者自身が雪華の写真とその形状や特性についての研究を始め、それらをまとめた章だ。自然が作り出す雪の結晶の写真は興味深いが、雪が解けぬ間に顕微鏡で観察しなければいけないため、この実験には困難が多く大変苦労したようだ。しかし、繊細で変化無限の雪の結晶に魅せられてゆく著者の気持ちの方が勝っていたことは確かで、雪の研究に没入していく様が描かれている。
第四章は「雪を作る話」について。
著者である中谷宇吉郎「雪博士」は世界で始めて人工雪の実験に成功した人物である。その人工雪が成功するまでの具体的な実験過程が書かれている。少々専門的な内容で一般の人には難しい気もするが、読んでいて気分が良かった。雪の結晶の状態を理解することは、はるか上空の気象状態を知る手掛かりになると著者は語る。まさに、本書の有名な言葉”雪は天から送られた手紙”だと言える。
石川県加賀市には「中谷宇吉郎雪の科学館」があり、彼の功績を収めている。機会があれば是非行ってみたいと思う。
【投稿者】KURI