書評『形』KURI
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
ホームページをリニューアルしました。Web作成のド素人ながらも読書会の告知の見やすさを追及しつつ過去の写真や記録をコツコツと整理していきたいと思います。皆さまにはご迷惑をおかけします、よろしくお願いします。
今後、こちらのブログにはお気に入りの本の書評を中心に書き綴りますので、遊びに来ていただけると嬉しいです。
“後悔するような感じが頭の中をかすめたとき”
『形』菊池寛(著)
著者は言わずもがな菊地寛。文藝春秋社を創立した人で直木賞、芥川賞の設立者でもある。偉大な功績を残した天才の文章は、正しく、美しく、そして清らかさを纏う。
摂津半国の主であった侍大将中村新兵衛は鎗の達人。火のような猩々緋(しょうじょうひ)の服折りを着て、唐冠えい金の兜をかぶった彼の姿は、輝くばかりのあざやかさをもっていた。敵には脅威、見方には頼もしさと信頼を与えるほどの服折りと鎧を、若い士に貸すところから物語は始まる。服折りと鎧、すなわち「形」をなくした「中身」だけの新兵衛は無防備そのもの。戦の若い士のはなばなしい武者ぶりを眺め、自分の鎧に大きい誇りを持っている場合ではない。
そもそも「中身」も「形」もない私にとって新兵衛は羨ましすぎる存在なのだが、「中身」が立派な人ほど「形」の凄さに気づかないのかも知れない。なぜなら、新兵衛がいつもと勝手が違っていることに気づき、後悔するような感じが頭の中をかすめたとき、敵の突き出した鎗が、彼の脾腹(ひばら)を貫く。奢りが命を奪う瞬間だ。「形」あってこその新兵衛なのだ。
「形」は学歴や在籍する起業のブランドの比喩のように言われるが、私はそれ以上の、その人の魂に近いもの・その人がその人たらしめる「形」と考えたい。名刺が無くても、折り目正しい生活を送ってきたという習慣はその人の「形」であり「中身」であるから。
断捨離にも程がある『リア王』と対比して読んでも楽しいと思う。どちらも自らの意思で“捨てた”ことによる悲劇だけれど、周りを巻き込む嵐タイプ『リア王』と、鋭利な刀で一振りの日本刀タイプ『形』では読後感が違う。
『形』は短編なので共読してから感想を述べ合う読書会向きの作品。背筋が伸びる文章はツイッターで気軽につぶやけない重みがある。
【投稿者】KURI