書評『ガルヴェイアスの犬』KURI
『ガルヴェイアスの犬』の「訳者あとがき」にはこう記されている。
”日本での翻訳が決まったと報せたときの「彼はいま、歓喜のあまり言葉をうしなっている」というパトリシア(著者の妻)の返事は忘れがたい。”
そして、こう続く。
”日本ではまだまだポルトガル現代文学の紹介が進まないなかで、本書を翻訳し出版できることは望外の喜びである。”
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乾いた土地がよく似合うポルトガルの小さな村、ガルヴェイアス。
そんな小さな村に直径2メートルの巨大な隕石が爆音と共に落ちてきた。
天地創造の象徴であろうか。
七日七夜の間、雨は降り続き、村は硫黄の匂いが立ち込めるようになる。
嗅覚に優れた犬たちにとっては、たまらなく不快な匂いだったに違いない。
硫黄の匂いは大地を狂わし、小麦の風味をも変えてしまうほどだった。
人々は隕石を「名のない物」と呼んだ。
日を追うごとに「名のない物」の存在は雑多な日常に溶け込んでいく。
せいぜいパンの味に記憶を残した程度で、いつしか村人たちは「名のない物」の存在を忘れてしまうのだった。
本書は、隕石落下後の村人達の黙示録である。決して豊かとは言えない人たちの生活に焦点を当てて、硫黄の匂いを忘れずにいる犬たちの生活に絡め「その人の人生」を描く。沢山の登場人物に囲まれたストーリーだが伏線もなく、大きな展開もなく淡々と進む。痴話喧嘩を繰り返す日常を送っていたり、兄弟の確執を抱えて悶々と生きていたり、前向きに生きる人びとの姿は少なく、読む者に暗い影を落とす。村全体の負のオーラが発するカオスな世界観。だか、その読後感は悪くない。
この村のどこかに自分がいたような気がしてならないから、だろうか。
読んだ記憶が過去の経験となり懐かしさを呼ぶから、だろうか。
【投稿者】KURI