書評『非色』
『一の糸』、『恍惚の人』、そして『非色』。有吉佐和子の小説は、どれも忘れがたい作品ばかりだ。魂を燃やして筆に託し、その精神は己を貫く主人公に宿る。そんな主人公の人生は他の追随を許さない猛々しさがある。一方、人としてのずるさや弱さも描くから読んでいて心に沁みる。一本筋が通っている姿勢と、きれいごとではない人間の心情とが紡ぐ物語は、これといった事件が起きなくとも読者を満足させるだけの「読ませる力」がある。それこそが有吉佐和子の真骨頂だと感じるのは私だけだろうか。
終戦の年からこの物語は始まる。主人公の林笑子は女学校を卒業後、キャバレー「パレス」のクローク係として働き始める。その「パレス」で、笑子は上層部だった黒人男性・トムことトーマス・ジャクソン伍長と知り合いになり、猛烈なアタックを受けて結婚する。
そんな自分の人生を笑子は意外に冷めた目で見ている。トムの情熱的な愛情や不自由のない生活に溺れることなく、黒人男性との結婚による弊害も感情的にならずに、淡々と日々を過ごしているように思える。多少の”反骨精神”もあるようだが、基本的には頭の良い女性なのだろう。
しかし、結婚とは家族を持つということ。トムと結婚したことで周囲から好奇な目で見られたり、偏見的な態度を取られても、自分が我慢すれば良いことなのだが、我が子となるとそうはいかない。笑子はメアリィを妊娠・出産すると“母性”という別の顔も覗かせ始める。メアリィは笑子が守らなければならないのだ。
そして、メアリィが3歳の夏、トムに帰国命令が下された。笑子は「事実上の離婚」と考えて、日本でメアリィと2人で暮らそうと決めていたのたが、娘の将来を思い、トムを追って渡米する。もちろん、笑子自身の生活も向上するであろうと計算した上でのニューヨーク生活だ。
しかし、その考えは甘かった。ニューヨークでのトムは貧困街ハアレムで半地下生活をしていた。社会に潜む人種差別による労働階級の壁がトムの労働意欲を削ぎ落とし、紳士的なトムから“黒ン坊”として安い賃金で原らかざるを得ない貧しい労働者に変貌していたのだ。貧すれば鈍する、と言うことだろう。自分の職探しも同様、アメリカという移民の集合国が作り上げた差別の構造を目の当たりにして、笑子は愕然とする。 黒人男性の妻としての種差別の壁は厚いということを嫌というほど思い知るのだ。
黒人は奴隷制度から解放されたとはいえ下級労働者として蔑む人々の態度は変わらない。心の中ではいつまでも野蛮で汚い奴隷であり続けており、根深い人権問題である。いや、黒人以下の扱いを受けているプエルトリコ人に関しては、もはや人間以下だ。
また、笑子が渡米する際に貨物船の中で一緒だった竹子、志摩子、麗子の日本人女性達の人生も忘れてはいけない。後に3人とは、日本料理店のウエイトレスとして再会するのだが、それぞれ別の形の「戦争花嫁」として苦悩を背負いニューヨークで生活している。果たして彼女達に明るい未来はやって来るのだろうか。
ちなみに、本書を読んで驚いたことは、現代では使われなくなった“ニグロ”などの差別用語や、“黒ン坊”と言った表現が沢山使われていることだ。この角川文庫版は1967年に刊行された作品を再文庫化されたもので、その当時の表現で2020年に復刊された。なるほど、差別用語という概念のない時代に書かれた小説なのだから現代では使用できない用語を使っていても不思議ではない。実際のところ物語を楽しむ上では違和感なく読み進められたので、語彙の訂正を加えずにそのままにしたことは正しい判断だったと考える。
『非色』は人種差別を扱った本であることには間違いない。しかし、タイトルの『非色』とは「色にあらず」だ。「色=人種」による差別ではないのだとすると、本書で描きたかった差別とは何なのだろうか。その答えは、本書の中で笑子が導き出しているから、興味のある方は、是非実際に読んで欲しい。現代の私達が暮らす世界にも「非色」は潜んでいると理解できるはずである。
【投稿者】KURI