書評『噛む老人』KURI *ネタばれあり*
*** 本作品を読んだあとですと、より楽しめると思います。多少のネタばれありです ***
極悪非道、許すまじ。
広くこの人間社会を見渡すに、若き者、老いし者、貧しきも、富めるもあり。されども其の身は共に生する心得の国なり。我が日の本の心、すなわち至誠にもとるなかりしか。
なんてね。
本作品は静謐さが纏うミステリー小説と言えよう。忘れ難い余韻の残る作品として審査員を唸らせ、見事に東京創元社の第17回ミステリーズ!新人賞受賞作となる。新進気鋭の小説家による静かな物語のはじまりだ。
小規模なデイサービス施設『ゆいまる』を経営している門多さんは市役所の介護福祉課相談窓口を訪れる。対応したのは市役所職員の入職3年目である小紀研。とある秋の月初め、昼食後のことであった。
相談内容は「噛む老人」の問題行動について。
温厚な老人・滝澤良治郎はアルツハイマー型認知症である。定期的に『ゆいまる』を利用して日々を過ごしている。ある日、滝澤さんは『ゆいまる』で働くヘルパーさんの腕に噛みつくという事件を起こす。記憶力、理解力、感情を抑制する力は衰えているとはいえ、普段から物静かな滝澤さんが騒動を起こすとは信じ難いことで、突発的な原因がない限り、強烈な「噛む」という行為が現れるはずがないのでは?と考える。
噛まれたのは南遥香、19歳。彼女は二週間前に施設の職員として採用された新人ではあるが、決して手を抜いたりすることのない真面目な性格の職員。仕事もそつなくこなす彼女である。介護ミスを犯し、滝澤さんを怒らせたとは考え難い。現にその場に居合わせた職員も、気になるような事故は起きていなかったと断言する。では、なぜ滝澤さんは、南さんの腕を噛んだのだろうか?
一度受けた相談報告は「お役所」として何らかの対処はすべきであろう。そして受け付けた人が処理をして解決するのが市役所職員というものだ。面倒な仕事は自己完結型が望ましいから。小紀くんは単独で老人が噛んだ原因を探っていく。
ここで、等身大キャラクター市役所職員の名探偵!が生まれる。それにしても、どこにでもいそうだ。公務員的な気質が満載の単調な捜査も、ある意味斬新と言えよう。普通に生活しているようにしか感じられない。思わず「小紀くん!頑張ってやる気を出して!しっかり活躍しなきゃ!」と応援したくなる。
そんな全てにおいて控えめな小紀くんだが、彼の凄さは、滝澤さんの過去に寄り添うように、穏やかな時間軸の流れに沿って経緯をたどり、心の奥底まで探り、真相に迫るところである。そして本人は無意識であろうが、真綿で首を締めるかのごとく、犯人をひたひたと追いつめていく。もしかして小紀くんは史上最強の名探偵になれるかも知れない。
アルツハイマー型認知症の滝澤さんの記憶は確実なところがなくとも、その記憶は「経験」として確実に五感に宿る。すなわちそれが真実の声である。
五感に秘めた極悪非道、忘るまじ。
【投稿者】KURI