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2020.5.16 100年後 Yuning

私はまだ死んだことがない。今生きているのだから当たり前だ。100年後にはたぶん死んでいるだろう。世の中が攻殻機動隊みたいな世界にでもなっていない限りは。


「われわれはなぜ死ぬのか〜死の生命科学〜」柳澤桂子著
生きている者は生きっぱなし、死んだ者は死にっぱなしになるため、死のことは今ここにいる誰にもわからない。「死とは何か」と問えば哲学になるが、「なぜ死ぬのか」は仕組みの問題だ。1930年代生まれの女性科学者による本書は、後者の疑問に答えてくれる。


人はわからないものを恐れるので、生きていく上で不都合な事実として死を捉え、死を思考の枠外へ追い立ててきた。しかし他の生き物はどうだろうか。人間の死だけを考えると、老化と死は切り離せないように思われるが、生物の世界を覗き込むと、老化が死に先立つとは限らないことがわかる。


たとえばサケは、性ホルモンの働きで体中のすべてのエネルギーが生殖のみに注がれるため、産卵した後はスイッチが切れたように死ぬ。老いてジワジワなんて悠長なことはしない。逆に、生きた化石と呼ばれるメタセコイアは茎頂分裂組織に無限の増殖能力があり、老衰することなく何千年も生きることがわかっている。


生物の死とは、個体を構成する全細胞の死であり、そこへいたる過程として「生きるとは少しずつ死ぬこと」でもある。私たちは死に向かって行進する果てしなき隊列であり、原始細胞が誕生してから36億年ものあいだ書き継がれてきた遺伝情報は、個体の死によって途絶える。個体の死は36億年の時間に終止符を打ち、生殖細胞に組み込まれた遺伝情報だけが生き続ける。

個体を保つために、環境の変化によって、あるいは細胞分裂の際の複製ミスによって遺伝子上のエラーが蓄積された細胞は死を選ぶ。また、人間の胎児の手は最初から手の形をしているわけではない。まずアヒルの足のようなものができて、水かき部分の細胞が自らアポトーシス(プログラムされた細胞死)を起こして消滅する。死とは終わりではなく、生を支えるためのダイナミックな営みなのだ。
死んだ後のことは、死んでみればわかるのだから、今から心配することもないだろう。

【投稿者】Yuning

明日は朝の横浜読書会のOKAさんへバトンタッチ!

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