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書評『曾根崎心中』

芝居作者の氏神として今なお尊敬され続ける近松門左衛門は、元禄時代に活躍した劇作家だ。井原西鶴、松尾芭蕉、と並んでこの時代の日本3大文豪と言われている。そんな近松は、歌舞伎はもちろんのこと人形浄瑠璃の作品も数多く手掛けている。そして人形浄瑠璃が歌舞伎と同様に「時代物」だけでなく「世話物」も上演されるようになったのは近松門左衛門と言う天才がいたからである。

それまで人形浄瑠璃は、時代浄瑠璃と呼ばれる歴史世界を中心とした「時代物」しか演目に無かった。一般庶民にとって時代浄瑠璃はリアリティに欠ける上に、文語体で表現していたため、少し敷居が高かったようだ。そこで竹本座は近松門左衛門とタックを組み、世上の出来事を描く「世話物」と呼ばれる新ジャンルを築き『曾根崎心中』を世に送り出す。近松の天分が大きく開花した瞬間であり人形浄瑠璃の歴史を大きく変えた世話浄瑠璃の誕生である。『曾根崎心中』は大阪で実際に起きた心中事件を材にして当時の日常語である俗語・口語で書かれている。この民間文芸の要素を多く含んだ世話物の『曾根崎心中』は瞬く間に注目を浴びて空前絶後の大ヒットとなる。

『曾根崎心中』は醤油屋の手代・徳兵衛と遊女・お初が梅田の曾根崎天神の森で心中をとげるという話。特に「道行」が有名である。実際読んでみると、徳兵衛とお初が森の中を歩く、ただそれだけのシーンなのだが、リリックと思わせるような文章と比喩の巧みさが奇跡のように一致し、神がかっていて心が震えた。そして心中する前の、ほんの束の間の心情が見事に描かれている。情緒的・心理的葛藤を越えた極限の先に、二人は何を考え、何を見たのか。近松門左衛門が描くエロスの狂気は『ロミオとジュリエット』を越えているのかも知れない。

以下、有名な「道行」の出だしだ。

一字一句に無駄がないこと、そして言葉としての美しさから生まれる静謐。五感が研ぎ澄まされる感覚を是非体感して欲しい。同じ演目でも近松門左衛門の作品は群を抜いて人気だった理由がわかるだろう。令和の時代の私でも圧巻のセリフ廻しで興奮気味なのだから、当時の人々の熱狂ぶりも容易に想像できる。

此の世のなごり。 夜もなごり。 死にに行く身をたとふれば
あだしが原の道の霜。 一足づゝに消えて行く。
夢の夢こそあはれなれ。
あれ数ふれば 暁の。 七つの時が六つ鳴りて
残る一つが今生(こんじょう)の。 鐘の響きの聞きをさめ。
寂滅為楽(じゃくめつ いらく)と響くなり。

後、『曾根崎心中』のヒットにより、心中の物語が次々と上演されるようになるのだが、皮肉なことに実際の心中事件も後を絶たない事態になり、232年間もの間、心中の演目に関する上演は一切禁止となる。 こうして近松の作品にふれることで、心中事件で亡くなった二人に対する敬供養になればと願う。二人の来世の幸福を祈るばかりだ。

本書は『曾根崎心中』『冥途の飛脚』『心中天の綱島』の三編を収めている。それぞれに原文、現代語訳、あらすじ付きだ。私のように人形浄瑠璃・文楽の初心者にも優しい構成となっているので興味のある方は是非ご一読いただきたい。

【投稿者】KURI

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