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書評『猫を棄てる』

「村上春樹って、ノーベル文学賞を受賞するかもしれないと騒がれているけれど、彼の作品のどこがそんなに優れているの?」とよく聞かれるが、返答に困る。私だってその訳を知りたい。誰か教えてくれないだろうか。

彼の小説は世界中で翻訳されて愛読されているし、優れた翻訳家でもありエッセイストでもある。ハルキストと呼ばれる熱狂的なファンがいることも周知の通りだが、どれだけの人が村上春樹の魅力を正確に伝えられるのだろう。「今回もノーベル文学賞を受賞できなかったね」などと騒がれて、さぞかし本人は迷惑だろうから、賞の話はさておき、そう聞かれたら、私は結局のところ「まずは『猫を棄てる』を読んでみては?」と答えると思う。

短い物語だから短時間で読めるので、ほとんどの人は挫折せずに完読できると思う。村上春樹文学においてのお約束のエロスが存在しないのは残念な気がするが、村上春樹の物語にありがちな謎の展開がないから理解しやすい。それゆえ異色の作品と言えない訳でもないが、巧みな比喩で表現された美しい文章を純粋に堪能することができる。しっかりと「村上春樹」を感じ、受け止めることが出来る作品だ。今後、数多の試験問題や教科書に取り上げられる可能性は限りなく100%に近いと予想する。

本書は父との想い出を語った回想録である。年を重ねたことによるある種の衝動なのかもしれないが、一方的な昔語りになっていないところがずるい、というか流石である。自身の少年時代の繊細な感性を見事な筆致で仕上げている。

父親の実家は京都市にある「安養寺」。父親はそのお寺の6人兄弟の次男として生まれる。奈良へ養子に出されたことがあるらしく、後の話の伏線となるのが興味深い。不運としか言いようのない世代で、昭和の暗い経済不況から第二次世界大戦へと悲劇が続く。家族にはあまり語らなかったようだが、父親は3度の招集を受けて激しい戦場体験をしている。村上春樹は父親が戦争中に残殺行為を行ったかも知れないという思い込みがあり、父の死後から5年が経過した頃にようやく軍歴等を詳しく調べる決心がつき、様々な父親の過去を知ることとなる。父への疑いが晴れて良かったと思うが、非人道的な行為が行われていた戦争下を生き抜いたことに変わりはない。

また、父親は大変勉強のできた人だったらしい。苦労の末、戦後は国語の教員となる。俳句をこよなく愛し、学問を生涯の友とした。そんな父親から見た息子は、時代に恵まれていたにもかかわらず、ろくに勉強もせず自由奔放で怠惰な生活を送っていたように思えただろう。父親から向けられた無意識の怒りのようなものを常に感じ、次第に疎遠となり死の直前まで絶縁に近い状態であった。病床の父とぎこちなく交わした会話が唯一の和解のようなものとなる。

父と雌猫を海岸へ棄てに行った話や、毎朝朝食をとる前に菩薩を集めた小さなガラスケースに向かって熱心にお経を唱えていた父の姿。この印象的な思い出が、父親の経歴を調べたことでわかった事実と重なり、村上春樹の記憶の中の唯一無二の真実として歴史をつくる。そしてこのごくごく個人的な人生の歴史は、本書では集合的無意識の世界へとつながる。具体的に本文ではこう述べる。

“我々は、広大な大地に向けて降る膨大な雨粒の、名もなき一滴にすぎない。固有ではあるけれど、交換可能な一滴だ。しかしその一滴の雨水には、一滴の雨水なりの思い出がある。一滴の雨水の歴史があり、それを受け継いでいくという一滴の雨水の責務がある。我々はそれを忘れてはならないだろう。たとえそれがどこかにあっさりと吸い込まれ、個体としての輪郭を失い、集合的な何かに置き換えられて消えていくのだとしても、いや、むしろこう言うべきなのだろう。それが集合的な何かに置き換えられていくからこそ、と。”

本書を読んだだけで彼の作品の凄さがわかるほど「村上春樹の文学への理解の道」は甘くない。あくまで導入作品として読むことをお勧めする。

【投稿者】KURI

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