1. HOME
  2. ブログ
  3. 書評『ヒュパティア』KURI

書評『ヒュパティア』KURI

ヒュパティアは紀元後5世紀のローマ帝国に生きた才能ある数学者、天文学者であり哲学者だ。

常人離れした美貌の持ち主だった彼女は、アレクサンドリアの路上で衣類と身体を陶片で引き裂かれ、目をえぐり出され、その骸をアレクサンドリアの路上で引き回された上に燃やされ、非業の死を遂げた。

400年頃のローマ帝国の市民の秩序は、ごく一部の帝国官僚・協会指導者・帝国軍将校が統制していた。彼らの結託はもろかった。キュリロスのアレクサンドリア主教への選出をきっかけにキリスト教徒が分断したことで、政治が乱れ内乱が起こり始める。その当時のアレクサンドリアの哲学者は、公的な権力はなかったが絶大な影響力を持っており、それ故にアレクサンドリアの思想界をけん引してきたヒュパティアは、社会の変革にのまれ、古代宗教の象徴として無残にもペトロスとその一味に殺されたのだ。

ああ、人間とはなんと愚かな生き物だろう。

本書はそんなヒュパティアの伝記になる。巻末にある参考文献一覧が10ページあるのには驚いたが、それとは裏腹に残されているヒュパティアの史料的な証拠が少なかったようで、著者は大変苦労したようだ。加えて残されている史料のほとんどが男性の書き手によるもので、男性の琴線に触れる内容しか記されていない。よって当然のごとく女性として気高く生きたヒュパティアの勇気に触れることはない。彼女は男性が支配する場所で、男性が唱えてきた思想を教え、男性によって独占してきた権力を行使してきた。『ヒュパティア』はそんな史実の後ろ側に潜む彼女の勇気を掘り下げ、その当時の常識や市民の生活に触れることで、ヒュパティアの一生を描いている。

誤解のないように書き加えておくが、この当時の女性哲学者の存在は驚きに値しない。女性は学んだ成果が職業に直結しないだけで、家族が出資してくれる限りは学びたいことを何でも学べた。ヒュパティアは知識人である父テオンからエリート教育を受け、数学と哲学に通じた娘に育てられ才能を開花させる。そしてこの当時の女性としては珍しく父から引き継いだ新プラトン主義哲学の学校長に就任し、職を得ている。ヒパテュアは学術的な講義を行う傍らで天文学や数学に専念していた。

個人的には本文のヒュパティアが生まれ育ったアレクサンドリアの都市の考察が興味深かった。注目すべきは人口の変動である。この時代の小児死亡率は極めて高く、生まれた子供の半分近くは5歳の誕生日を迎えられない。また、たいていの女性は6人以上の子供を産む時代であったが、出産で亡くなる可能性は1回につき2%もあったらしい。そんな脆弱な衛生環境や事故の可能性や人口過密といった都市特有の危険を繋ぎ合わせると、当時のローマ帝国では毎年約3%の人口が失われた可能性が高い。ではどのようにしてアレクサンドリアの人口を維持していたのかと言うと、地方や他の帝国からの移住者が多くいたようだ。そこで問題になるのが異文化同志の社会的分断だ。彼らは言語や文化が違う者同士でも多様性を重んじ同じ都市を分かち合っていた。しかし、ヒュパティアの死を悲劇的にもたらしたのも事実である。この都市が上手く機能するのには限界があったのかも知れない。

哲学と数学の融合調和を重んじ、学問を愛したヒュパティアの命を奪った人々の憤怒。多角的な視点で考えると、彼女の死の要因は断定できない。激動の時代であり、何が正義なのかもわからない。怒りとはなんと愚かな行動を招く感情なのだろう、と考えをあらためた。

【投稿者】KURI

関連記事