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これまでの読書会

第10回20-30歳代対象!横浜読書会KURIBOOKS『ハンチバック』

■2023年11月5日(日)16:00-18:00 晴れ

■参加者14名(初参加者2名)でした。

 

課題本は 市川沙央(著)『ハンチバック』です。

打ちのめされるような凄い本は、不屈の精神を持つ著者から生まれました。

チャーミングな悪態が魅力的で、たくみな娯楽性を持つ文章の中に、強い意志と挑発的な感情が感じられる小説です。

そんな彼女の作品を象徴するかのような第169回芥川賞贈呈式の挨拶を抜粋してみました。

 

『ハンチバック』は、私が産んだ小説ですが、種付けをした父の存在が二方おります。

ひと方は、私の懇願のお手紙をスルーなさった出版界。

もう一方は、私のライトノベルを20年、落とし続けたライトノベル業界。

この場を借りて、御礼申し上げたいと思います。

その方々がいなければ、私は今、ここにはいません。

怒りだけで書きました。

『ハンチバック』で復讐するつもりでした。

私に、怒りをはらませてくれてどうもありがとう。

 

 

横浜読書会では『ハンチバック』の誕生を祝福したい気持ちと、本書をより深く理解したいという気持ちから、課題本として取り上げてみました。

課題本による読書会は20-30歳代対象では始めての試みです。

 

先ずは、全員の読後の感想をシェアします。

・著者の「性のコンプレックス」を感じる

・メッセージ性が強い作品だと思った、物語全体を通して怒りを感じる

・健常者優位主義を語るシーンが印象に残った

・小説として単純に面白いと思った

・人物描写が良く書けていると感じた

・読者が飽きることのないように物語が工夫されていると思った

・ラストシーンが上手く解釈できなかった

・著者の精神的な歪みを感じるが、それは誰しも持っているものだとも思う

・社会に向けて矢を放つセンセーショナルな話だと感じた

・自分の知らない世界かと思って読み進めたら、健常者優位主義である自分に気付き、衝撃が跳ね返ってきた

・著者の日常を綴るエッセイのような始まりだったが、終盤にかけて小説に仕上がっていた

・障害者に対する自分自身の偏見を感じた

・旧訳聖書を本文中に引用することによって、物語が神秘化されるような作用を成している

・「主人公の話」と「主人公が描く物語」と、双方の構造が作用して小説として上手く仕上がっている

・感情移入でいない作品だった、どのように受け止めてよいのかわからない

・健常者に対して見えない特権性を感じた

・写し鏡のように己の心を覗き見ることができた

・冒頭の文章が下品すぎて芥川賞受賞作なのだろうかと疑った

・言葉運びが上手く、巧みな娯楽性を感じる作風に仕上げている

・著者の「私を見て欲しい」というメッセージを強く感じる、と同時に、

「そんなに簡単に私を理解できると思うなよ」という想いも込められている気がする

・主人公の名前が仏教・シャカなのに、本文には聖書・エゼキエル書が引用されているのが不自然

など、様々な意見がでました。

 

次は解説に進みます。資料を参考に、1から3を順番に説明しました。

1著者について(プロフィール、経歴、難病について)

2インタビュー記事から抜粋(作家を志したきっかけは?本作品は私小説なのか?)

3本文の補足説明(html、エゼキエル書、モナ・リザスプレー事件、物語全体に流れる旋律、4つのシャカ+1人)

特にモナ・リザスプレー事件は、戦時中の「堕胎罪」から「旧優生保護法」「母体保護法」までの流れを駆け足で解説し、この事件に潜む背景を深堀りしました。『ハンチバック』で著者が読者に伝えたかった核の部分と考察したからです。実際、彼女はインタビュー記事で“私の中で『ハンチバック』は、自身の卒業論文『障害者と現代社会の相互影響について』の裏卒論だ“と語っています。著者は、このテーマで純文学に落とし込んだ際に、米津知子の事件には触れておくべきだ、と考えたのだと思います。

また、聖書をお持ちいただいた参加者の方がいらっしゃいました。エゼキエル書のゴクとマゴクの戦いの解釈についてのヒントをいただきました。

その他、クラシック音楽に詳しい方に旋律(長調のイメージ)などを伺ったりしました。

 

そして、グループディスカッションでは2つの疑問について話し合いました。

1.Q「ラストシーン」は必要だと思いますか?

・Aそもそも、この議論こそ意味がなく、不毛のような気がする。著者は『ハンチバック』を作品にした時点で解釈は個々の読者にゆだねているはずで、感じたまま受け止めてよいのではなかろうか。

・A必要だと思う。ラストシーンがなければ、一つの美しい完成された小説だったが、著者は美しく終わる小説を望んではいなかったと思う。

・A必要だと思う。シャカが希望していたこと(妊娠・中絶)をラストシーンへ盛り込んだと解釈した。中絶はキリスト教ではタブーであり、神への反逆ということになり、聖書のゴクと重なる。なぜ本文中に聖書の一部が引用されたのか?という疑問に対しても腹落ちすると思う。加えて社会への反発とも読み取れる。本書の肝は、P45-46あたりの、井沢釈華が米津知子の「モナ・リザスプレー事件」に触れているシーンから、障害者や女性の人権と生命の尊厳に対する問題にふれている個所だ。この考えを井沢釈華は紗花に体現させて読者に説いている。

 

***  ここでストーリー展開を簡単に整理します  ***

井沢釈華は生きているのでしょうか?

・生きていると考えた場合のストーリー展開

【井沢釈華の書いたコタツ記事(物語1)→井沢釈華の生活に田中との事件が起きる→聖書→井沢釈華が別シーンの記事を書く(物語2)】

その場合、

・始めのコタツ記事の早稲女のSちゃんとラストの紗花(田中の妹)は同一人物とも考えられる

・田中は1億5500万円をもらわずに、ホームを辞める。

・P92-P93の「私の紡いだ物語」と「彼女の紡ぐ物語」の整合性がとれる。

・死んでいると考えた場合のストーリー展開

【井沢釈華の書いたコタツ記事(物語1)→井沢釈華の生活に事件が起きるという紗花(田中の妹)の小説(物語2)→聖書→紗花の生活】

その場合、

・田中は井沢釈華を殺害して刑務所にいる

・P92-P93の「私の紡いだ物語」と「彼女の紡ぐ物語」の整合性がとれる

ということで、この二つのパターンが考えられます。

 

この話の流れから、紗花の彼氏・担の存在について興味深い意見が出ました。

物語に突然登場した「担」ですが、「痰」と重ねて表現しているのではないかという意見です。

具体的には、

恋の病で“担のせいで私はいつも胸が苦しくて不幸せだ。”p91と言っている紗花と

先天性ミオパチーの病で苦しむ“痰を引く吸引器は片時も手放せない。”p18の釈華。

私(しゃか)+感情(苦しめられている)=誰に?何に?(たん)

が一致する偶然は、紗花が井沢釈華の創作によって生まれたからなのではなかろうか。

そう考えると、井沢釈華は生きていると解釈したストーリー展開の方が自然なのでは?

との話で盛り上がりました。

しかし、いずれにしても、正解はなく、読んだ者の感性で物語を楽しめば良いとの結論です。

 

2.Q性行為と引き換えに1億5500万の交渉を持ち掛けられた時、あなたが田中ならばどのような行動を選択しますか?

・A井沢釈華の業を背負うことになるので断る

・A提案は受け入れる。ただし500万円で人を雇い、井沢釈華との行為はお金で解決する

などの意見がでました。

 

ここでは田中のコンプレックスについて話題になりました。

田中の一番のコンプレックスは身長が低いことなのか、それともお金なのか。

それによって物語の解釈が変わってくるということです。

 

また、田中はなぜ性交渉せずに逃げたのか?に対して

・弱者と強者の関係がどこかで入れ替わった気がする

・これ以上の行為は井沢釈華が死んでしまうという恐れから怖くなったのでは?

・田中は井沢釈華の裏アカを覗き見しているくらいだから井沢釈華に興味はあったことは確かだと思う

・田中が井沢釈華から憐れんで見られていることに対して、耐えられなかったのでは?

など、の意見が出ました。

 

まとめとして読書会後の感想を皆さまから一言いただきました。

・大変ためになったし、面白かった

・自分では気づかなかった新たな発見があった

・自分一人で読んだ時の読後の感想とは違った感情(感想)が芽生えた

・同じ本を読んでも人それぞれの感想があり、別の本を読んでいるのか?くらいの解釈の違いを味わえた

などの感想が出ました。

 

最後に以下を読み上げました。

冒頭で書いた市川沙央さんの第169回芥川賞贈呈式の挨拶の結びです。

でもこうして今、皆様に囲まれていると、復讐は虚しいということもわかりました。

私は愚かで、浅はかだったと思います。

怒りの作家から、愛の作家になれるように、これから頑張っていきたいと思います。

どうぞよろしくお願い申し上げます。

本日はありがとうございました。

 

この文章を読書会の最後に読み終えた時、

参加者からは感動ともいえるため息と当時に「カッコイイ!」 との声も聞こえました。

 

読書会を終えて(おまけ)

本文には、井沢釈華が健常者優位主義を語るシーンとして「紙の本を恨んでいる」p27とあります。

「そう書かれているのに、今日、私たちは紙の本を持参して読書会を開催しています。本好きたちの無知な傲慢さに該当する行為なのかな。」

とおっしゃっていた参加者の方がいました。

実は、著者は、

“墓石に「生きているうちに紙の本を出せなかった女」と彫るつもりでいた”と語っています。

ですが、芥川賞を受賞したことをきっかけに、念願だった紙の本を出版することができました。

そんな紙の本『ハンチバック』を持ち寄って読書会を開催し、参加者全員が存分に楽しめたことに対して、

彼女はきっと喜んでくれていると

私は信じています。

 

大変楽しかったです。

ご参加いただきました皆様ありがとうございました。

また読書会でお会いしましょう。

 

■今月の皆さんへの質問です。

自己紹介の時に、すべての読書会の参加者の方へ聞こうと思っています。

【住んでみたい場所】

京都、宇宙、イギリス、ベトナム、神奈川(今住んでいるところ)、フィンランド、北鎌倉、台湾(ベイガン島)、イタリア、鳥取砂丘、瀬戸内の島、センター北、アラスカ、ヨーロッパ

以上です。

 

清らかな感受性と柔軟な思考の時代に生きる君へ。

知的好奇心を解き放つ出会いの場として、

ぜひ横浜読書会KURIBOOKSへ遊びに来てください。

 

【投稿者】KURI

 

 

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