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これまでの読書会

第14回(7/17)ノンフィクション横浜読書会

みなさんこんにちは、Yuningです。
 
荒天続きだった梅雨の日々がようやく終わりに近づき、気の早いセミがもう鳴き始めました。これからしばらく暑くなりますね。
 
7月17日、第14回ノンフィクション読書会をオンライン開催しました(女性4名、男性4名の合計8名が参加)。
それではさっそく持ち寄られた素敵な本たちをご紹介したいと思います。
お題は「メメント・モリ(死を想う)」です。
【ご紹介いただいた本】
 
 
◆「原爆死の真実――きのこ雲の下で起きていたこと」 NHKスペシャル取材班 著
2015年に放送されたNHKスペシャル「きのこ雲の下で何が起きていたか」の書籍化。原爆投下直後の広島市内の写真はたったの2枚しか存在しておらずそれは広島在住の新聞記者が逃げ惑う市民の姿を御幸橋の上で撮ったものだった。フラッシュバーンによって破壊された皮膚がぼろきれのように垂れ下がった姿を写真は克明に記録し、写真の中にいた少年は被爆者の生き残りとして、のちに広島を訪問したオバマ元大統領と言葉を交わすことになる。語り継がれるべき戦争の記憶。
 
◆「死刑 その哲学的考察」  萱野稔人 著
死刑制度の議論となるとまずは賛成なのか反対なのかから入ることが多いが、本書ではそうした結論ありきではなく、死刑そのものを哲学的に思考することを試みている。かつて「死刑は日本の文化」と言った法相もいたが、文化だからそれ以上議論するなというのもおかしな話だ。「人殺しは良くない」という理由も、その根拠を突き詰めていくと万人が納得するものではなく決め手に欠ける。著者は道徳でこの問題を解決することの限界を認めつつ、それでも人々に考え続けてほしいと望む。
 
◆「死を語る」 中村うさぎ/佐藤優 著
中村も佐藤も共にクリスチャンで、同志社大学に学んでいる。中村は原因不明の心肺停止状態に陥り、「ブラックアウトした瞬間にそれまでの苦痛が消え、個がなくなって世界と一つになることで救われたと感じた」と臨死体験を振り返る。そこから中村は「家族というのは一人で勝手に死ねないという重たい約束」だと感じ、命が家族に受け継がれていくという日本人の死生観に思い至る。中村が体験した「自己の消滅と解放」とは、イブが知恵の実を口にしたことで自我に目覚めて楽園を追われるという聖書の物語を連想させ、自我の存在が人間にとって喜びであると同時に苦しみの根源でもあることを示唆している。
 
◆「戦争における「人殺し」の心理学」 デーヴ・グロスマン 著
アメリカ陸軍で23年間過ごした後に軍事学教授となった著者が、「兵士にとって人殺しとは何か、兵士をいかに人殺しに慣れさせるか」について掘り下げた一冊。人間は本来、同じ人間を殺すことに強烈な抵抗感を抱くものだが、それを兵士として戦場に送り出し、人を殺すという職務に従事させるためにアメリカ軍がしてきた様々な「工夫」が語られる。それでも兵士らは常に葛藤の中にあり、家族以上の連帯感を抱く仲間の存在に支えられながら、一生その重い軛を背負っていく。
 
◆「それでも人生にイエスと言う」 V.E.フランクル 著
「夜と霧」で知られる精神医学者のフランクルが、ウィーンの市民大学でその体験と思索を語った講演集。私たちは「人生に何を期待できるか」ではなく「人生が私たちに何を期待しているのか」を問うべきであるとし、日々の出来事において「今ここでどう行動すべきか」と人生から突き付けられる問いに私たちは答えなくてはならないとする。なぜなら、人生の意味や価値とはそこに発生するからである。「人生のルールは私たちに勝つことを求めていないが、決して戦いを放棄しないことを求めている」という言葉に励まされる。
 
◆「消えたマンガ家」 大泉実成 著
誰もが心の中には「消えたマンガ家」がいるはずだ。彼らは作品を創作することの孤独と苦悩に耐え続けた偉大な人々であったが、その果てにマンガ家をやめたり人生をやめたりしてしまった。貸本時代の作品が復刊されてもかたくなに他人との接触を拒んだ徳南晴一郎や、若くして漫画家デビューを果たすも生きることに苦しんで24歳で命を絶った山田花子。人気作だった「幽☆遊☆白書」を自爆的に終わらせたばかりだった冨樫義博も取り上げられているが、のちに復活して作品を描き続けてくれたことは一ファンとしても大変うれしい。
 
◆「死にカタログ」 寄藤文平 著
JTの広告で知られるイラストレーターが「死ぬって何だろう」について絵で考えた新しい「死の本」。紹介者は自分が小学生の時に死を意識したことがあると言い、死んだらどうしようと母親に聞いたら、「それは私が死んだ後にゆっくり考えて。時間はあるから」と言われたことが忘れられないと語っていた。死を迎える時、人は怒ったり、何とかならないのかとあがいてみたり、落ち込んだりするが、それらの過程をへて最後には死を受け入れるという。きっとそういうふうにできているのだ。
 
 
いかがでしたでしょうか。
 
「メメント・モリ」という言葉は古代ローマの時代からあり、「いつか死ぬことを忘れずに今を大切に生きろ」という警句として、あるいは「この世界は不公平だけど死だけは誰にでも平等に訪れる」という社会風刺として使われてきたそうです。死について想うことは、生について考えることです。まさに今、生きていることを味わいながら。
 
次回のノンフィクション読書会もお楽しみに。
あなたもぜひ一緒に知的冒険に出かけませんか。
 
【投稿者】Yuning

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