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書評『吉原手引草』NAOKO

種明かし後、再読したいミステリー。松井今朝子の『吉原手引草』はそんな一冊だ。

吉原一を謳われた葛城という花魁。その彼女の失踪について、ある人物が関係者に聞き回っていくことで物語が進んでいく。証言者たちは一様に、葛城の失踪についてはなぜか語りたがらないのだが、彼ら自身の生業、身上を語る中で、葛城の人物像が徐々に浮かび上がり、失踪の謎が明らかになる。

聞き込み役の男は、その人物像が明らかにされておらず、この男は誰なのかというのが、この本のもう一つの大きな謎である。

証言している人物は多岐にわたり、妓楼の主人・見世番・遣手をはじめ、幇間、女芸者、指切り屋、女衒、客の札差など16名に及ぶ。彼らの語りを聞くと吉原の仕組みがわかるようになっていて、まさに「手引」書である。

証言者ごとに章立てされていて、聞き役の男のセリフは全くなく、証言者の一人語りの体裁だ。証言者たちの語りは、まるで一人芝居の舞台を観ているようで、それぞれの人となり人生が浮かび上がってくる。

「お歯黒溝にぐるりと囲われた(略)遊郭の中は、思えばひとつの大きな舞台なのかもしれませぬ」引手茶屋の女将は語りの中でこのように言う。吉原という舞台の中で、各証言者は役者であり、それぞれの人生の主人公なのだ。

そして、「葛城失踪事件」という大芝居では、彼らは脇役として、芝居を成立させるため陰に陽に手助けし手引きする。本書のタイトル「手引草」には、そうした手引書の意味も込められているのかもしれない。

だとすれば、嘘と真がないまぜの証言者の嘘を見抜き、証言の裏にあるもの、彼らの葛城への想いを読み取り、葛城という花魁の生き様に思いを馳せる―それがこの本の再読の楽しみといえる。

「人の心は深き井戸。身を乗り出して覗いても、暗ろうて底は見えぬものざます」

妓楼の見世番の男の身の上話に、葛城はこう思いを述べたと言う。まだ若い葛城が心の奥深くに抱えているものに胸が詰まる。深き井戸の底を見てしまった彼女は、果たして吉原という舞台を降りて、どこに行き、何を見るのか。

謎解きに対する読者と著者の知恵競べは、ミステリー小説の醍醐味だ。一方で、人間の暗部など人間性を考えさせてくれるのもミステリーの魅力の一つであり、『吉原手引草』はその意味で味わい深いミステリーである。

【投稿者】NAOKO

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