REPORT
これまでの読書会
第7回セカンドライフ横浜読書会KURIBOOKS
■2023年10月7日(土)10:10-12:00 晴れ
■参加者4名でした。
課題の本は林芙美子(著)『放浪記』でした。
新潮文庫や岩波文庫で読んだようです。
2023年7月号の小冊子『100de名著』を持ってきた方もいました。
1930年に刊行された当時は、売れに売れた林芙美子の『放浪記』。
「その理由が理解できない」と答えた方がほとんどでした。
品のない言葉遣いや稚拙な文章で庶民的な印象が強く、
“名著”と言われるような風格がありません。
そして「彼女の若い頃の貧乏暮らし」の話なので、
読んでいて感動するような内容ではありません。
ことあるごとに「お金が欲しい」「おなか一杯食べたい」と嘆きます。
周りにはダメ男がたくさんいて、彼女を困らせますが、
ユーモアとバイタリティにあふれ、ふてぶてしく、啖呵を切って生きています。
そんな、タフな女性の話です。
また、日記文学にも関わらず、話の時系列がよくわからないために読みにくいと感じます。
それが全544ページと長編で続くため、完読せずに挫折する人が多いのも頷けます。
そんな理由から「読み継がれる理由がわからない」というのが、
正直な参加者全員の感想となりました。
しかし、読書会の中で皆さんと一緒に、彼女の生い立ちから紐解いていくと、
違った角度で見えてくるものがありました。
当時、行商の娘(芙美子)が女学校に進むことは、常識では考えられなかったことで、
芙美子自身が大変な勉強家であったこと、経済面で相当苦労したこと、が想像できます。
実際、本文中で芙美子が、エミイル・ヴェルハアレン、クヌート・ハムスン、エルンスト・トラーなどに触れていて、教養の高さがうかがえます。
そして『放浪記』の中の芙美子は、この時代に生きた女性の等身大の姿だった、ということです。
男性優位の世界で女流作家として頑張っていた彼女には、
「どうして女性は幸福になってはいけないのか」という想いがあり、
『放浪記』の中からそのメッセージが熱く伝わります。
日本近代文学を代表する男性作家の書くものは、
主人公がどうやって生活しているのかがわかりません。
生活そのものに関心がなく、それゆえ生活に対する不安もない。
そんな生活の苦労を背負う女性代表として筆を取り、
文壇の権威ある人から亜流と言われ、蔑まれても、
パワフルに書いて書いて書き続けた作品が『放浪記』なのだということがわかってきました。
林芙美子そして、『放浪記』の偉大さが紐解かれた瞬間でした。
その他、様々な意見がでました。以下にまとめます。
・林芙美子が好んだ言葉“花のいのちはみじかくて ”は有名。
・芙美子がぶらぶらと歩くシーンが多いなぁと感じる。
・『放浪記』は冒頭の“私は宿命的に放浪者である。”が有名。
・柚木朝子さんが林芙美子さんのファンだと聞いて、なるほどと思った。
・文中の “ああ二十五の女心の痛みかな” が有名だが “富士山を見た” の詩の方が好き。
・森光子の『放浪記』の舞台を3回も観た。
・母親想いだった林芙美子。お母さんがとても魅力的な人だったのだろう。
・死因は心臓麻痺だったが、実際は過労死だったのでは?と思う。
・林芙美子の葬儀の際、川端康成が読んだ挨拶分に驚く。そんなに文壇から嫌われていたのだろうか。
・林芙美子は、現代の女流作家・林真理子のような立ち位置(イメージ)だったのでは?
などなど。
本当に、楽しかったです。
ご参加いただきました皆様ありがとうございました。
また読書会でお会いしましょう。
■今月の皆さんへの質問です。
自己紹介の時に、すべての読書会の参加者の方へ聞こうと思っています。
【自分を人間以外の生き物に例えるなら】
・ウサギ、トド、サンマ、柴犬
人生は重ねるごとに深まります。
知的好奇心を解き放つ出会いの場として
ぜひ横浜読書会KURIBOOKSへ遊びに来てください。
【投稿者】KURI