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第3回(3/12)考える横浜読書会『散るぞ悲しき』

■参加者11名(男性6名、女性5名)

初参加の方は3名でした。

 

戦争で亡くなられた方、そしてこの時代を生き抜いた方へ 慎んで哀悼の意を捧げます。

 

参加者は13名、20代から70代までの年齢層、男女の比率もバランスよく稀有な会でした。活発な意見交換ができた理想の読書会だったと感じます。

 

全員がこの読書会をきっかけに本書を読んだとのことでした。大変ありがたく、また大変嬉しく思います。本書のような優れた作品は沢山の方に読み継がれて欲しいと願います。

 

読書会の中では「太平洋戦争」に関する貴重な意見や、「戦争とは」の問いなどに全員で考える場面がありました。信頼関係の上に拮抗した意見を交わすことができたと思っています。

 

それでは本文に進めてまいります。

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▶『散るぞ悲しき』内容

硫黄島の戦い。

日本兵・2万に対して米兵・6万と圧倒的不利な戦いでした。しかし「五日で落ちる」と言われた硫黄島を36日間にわたって持ちこたえます。武器もなく補給も途絶えたこの島で戦いぬかねばならなかった、兵士たちの苦しみと悔しさ。水不足に苦しみ「地獄の中の地獄」と言われた人間の極限状態の中で、最高指揮官・栗林中将は何を求め、何を考えたのでしょうか。戦場に赴いても詩人でもあり歌人でも有り続けた彼は、自決を禁じ血の一滴まで戦うことを命じる、戦術思想においては徹底した合理主義者でした。本書は栗林中将の人物像をきめ細やかに描いています。

 

▶『散るぞ悲しき』きっかけ

彼は、遺書として硫黄島から家族に宛てた手紙を41通ほど残しています。

著者はその中の、お勝手のすき間風を気にしている一節に心惹かれます。

 

お勝手のすき間風。

 

出征直前には天皇に拝謁して直接激励されるという名誉に浴しているその彼が、最後の心残りとして記したのが、留守宅の台所だったという事実。

職業軍人である男の美学とは対照的な生活味溢れる栗林中将の手紙を手に取り読んだところから本書の取材はスタートします。物書きとしての性分にスイッチが入った瞬間でした。

 

▶『散るぞ悲しき』タイトル

国の為重きつとめを果し得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき

仇討たで野辺には朽ちじ吾は又 七度生まれて矛を執らむぞ

醜草の島に蔓るその時の 皇国の行手一途に思ふ

 

大本営宛てに発せられた決別電報の最後に栗林中将の辞世の句が三首添えられています。

エリート軍人たる栗林中将が、いたずらに将兵を死地に追いやった軍中枢部への、ぎりぎりの抗議ともいうべき感情がちらつく一首目の最後「散るぞ悲しき」が「散るぞ口惜し」と改竄されていたことがタイトルである『散るぞ悲しき』の由来です。

 

▶『散るぞ悲しき』著者

1961年生まれ、当時まだ40歳代でした。戦争を知らない世代に属する著者が資料の少ない硫黄島作戦について魂を込めて書いています。過不足のない構成と文脈は読みやすく、醗酵された文章は取材の深さと比例しているように思います。

 

 

▶『散るぞ悲しき』星条旗

星条旗を掲げるためのポールは、日本軍が雨水を集めて利用するために作った貯水槽に取り付けられていたもので日本兵の命を繋ぐ道具でした。

 

▶『散るぞ悲しき』参考文献

P19『戦史叢書』

P67、71、72、104『闘魂・硫黄島』

P253『硫黄島』

P83『硫黄島ああ!栗林兵団』

P86『硫黄島の星条旗』

P301『失敗の本質』

P302『夜と霧』

※本書には載っていませんが、あわせて読みたい一冊

『17歳の硫黄島』

※映画化として「硫黄島からの手紙」「父親たちの星条旗」がある。

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最後に、唯一今回残念なこととしては、時間が足りなかったことでしょうか。個人的には栗林中将が大本営の方針に対して幾度となく批判を行っており、戦訓の詳細に焦点をあてて意見交換したかったと思いました。

ありがとうございました!またお会いしましょう。

加筆、訂正受け付けております。気軽にご連絡頂きたくお願い申し上げます。

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