■参加者15名(男性7名、女性8名、うち見学者3名)でした。
「歩く学者」と言われた宮本常一の代表作『忘れられた日本人』が今回の課題本でした。主に西日本の農村に暮らす庶民や旅人たちの話をまとめたもので、彼ら自身の人生に裏打ちされた重みのある言葉が随所に出てくるのが印象的な作品です。
■著者経歴
1907(明治40)年、山口県周防大島に生まれる。農家に生まれ、家を継ぐつもりでいたが、学校の成績が優秀だったために大阪に上京。小学校に赴任するが、1930(昭和5)年に肺結核を患い、郷里に戻る。療養生活を終えて教職に復帰したのち、1934(昭和9)年には柳田国男に、1935(昭和10)年には渋沢敬三に出会う。それまでも民俗学に興味を持ち独自に民話の収集等を行っていたが、ついに教職を辞して各地を旅し民話を採集する生活に入る。戦後には農業指導の傍ら全国の農村を歩くなど、生涯にわたってフィールドワークを続けた。ノートや録音機を持たずにただ話を聞き、宿に帰ってから文字に起こしたという。1981(昭和56)年、胃がんにより73歳で没。
■『忘れられた日本人』について
1960(昭和35)年に刊行された、宮本常一の代表作のひとつ。「民話の会」の機関誌『民話』に「年寄たち」と題して連載されたものに他の雑誌に載せたものや新たに書き下ろした文章を加えて一冊にまとめたもの。主に西日本の農村で収集した民話が収められている。
■参加者の感想
『忘れられた日本人』で語られるのは昭和の西日本の農村での人々の暮らしですが、現代日本との生活の違いにカルチャーショックを受けたという声が上がりました。印象に残った箇所を皆さんに聞いてみたところ、「土佐源氏」「女の世間」
を挙げた方が多くいらっしゃいました。性生活の違いやあけっぴろげな語りが印象深かったようです。
※坂本長利の一人芝居「土佐源氏」が有名
・「女の世間」の最後の一文が心に残った。
引用)「女たちのはなしをきいていてエロ話がいけないのではなく、エロ話をゆがめている何ものかがいけないのだとしみじみ思うのである。」
・「土佐源氏」に人間の悲哀を感じた。
・「土佐源氏」を読んで、あまりの自由さにカルチャーショックを受けた。
・「女の世間」や「土佐源氏」で語られる夜這いの話に衝撃を受けた。夜這いは合意の上でのものだったことを知った。
・自分にはとても夜這いはできないので、この時代に生まれなくて良かったと思った。
・昭和の農村の話であり、現代からみてもそこまで時代が違うわけでもないのに、現代とはずいぶん暮らし方が違うことに驚いた。
・四国出身のため、語られている農村の暮らしが地続きの郷土史のように感じられ、ざわざわした気持ちになった。
また個々の話や全体については、以下のような意見が出ました。
・「村の寄りあい」を読んで、閉じた社会である村の暮らしでは話し合って互いに納得するプロセスが大切なのだと感じた。
・「名倉談義」を読んで、流通の変化が人々の生活に及ぼした影響が大きかったことを改めて感じた。
・「名倉談義」を読んで、年寄が大切にされているのは、年寄だけが握っている情報があったからなのだなと納得した。
・「子供をさがす」で、村全体で子どもを育てていた話を読んで、自分も親だけでなく、同じ通りの人全体に育てられていたことを思い出した。
・「梶田富五郎翁」に出てくる「メシモライ」というのは面白いシステムだと思った。
・「私の祖父」で語られる蟹の話やお葬式の話が、穏やかな雰囲気で和んだ。
・「世間師(2)」で素性がわかってもらえると親切にされたという話を読んで、海外を旅行するときと同じだと思った。
・「文字をもつ伝承者(1)」の田中翁は非常に立派な人。このような人に政治家になってほしい。
・血縁、地縁というのが重視された社会だったのだと感じた。
・農業には定年がないので生涯働くことになる。本書を読んでも驚くほどよく働いているが、社会的な居場所があって人の役に立てる仕事があるのはいいことだと感じた。
・生活のことが学問になるとは思っていなかったが、研究の手法を知って民俗学とは学問なのだと理解できた。
また考える横浜読書会で過去に課題本となった『楢山節考』との違いについても話題に上りました。『楢山節考』の舞台は信州の農村であり、西日本の農村の話を集めた本書とは暮らし方が異なっているため、『楢山節考』ほどピリピリした雰囲気ではないことが話されました。
上記以外にもさまざまな感想や、参加者自身の体験などをお聞きすることができ、充実した時間となりました。
※KINOさん、感想をありがとうございます!